歴史

2008年1月21日 (月)

三国志?

\(☆^〇^☆)/ オバンデス

無謀にも三国志について、以前くららさんからリクエストもあったし、

ちょこっとですが、書いてみます。

三国志自体は大好きで、マンガも読みましたし、

ゲームもよくやりました・・・

・・・ってこの時点でお分かりになると思います。

そう、私が知っている、もしくは知識としてもっているのは、

「三国志演義」のほうの知識です。

ご存知の方が多いと思いますが、

有名なマンガですと、横山光輝さんの「三国志」が有名ですが、

あれから、三国志の世界にひたる方が多いのではないでしょうか?

あれが、三国志だとおもってません?

あれは、あくまで「三国志演義」を元にしたものです。

わかります?難しい話はしないほうがいいのでしょうが、

ここんとこ、実は重要で、本当に史実として話す場合には、

「三国志演義」ではだめなんですよね。

「三国志」っていう歴史書じゃないと・・・

いちおう、大学のときに東洋史を専攻していた手前、

その辺はきっちり説明しないとかなと・・・

(ほとんど大学にいかなかった不真面目学生ってことは、

  このさい、気にしないでください)

ということで、このふたつの詳細を紹介

 「三国志」

作者:西晋の陳寿 

作年代:280~290年ころ

特徴:魏から禅譲をうけた司馬炎がたてた

   西晋王朝の家臣(元、蜀の家臣)の陳寿が書いた歴史書。

   三国のうち魏を正統な王朝として扱っている

   三国時代とほぼ同時代を生きた人物が書いた歴史書であり、

   私撰ではあるが、非常に重要な歴史書。

   この書物の「魏史倭人伝」のなかに、

   日本の邪馬台国の記述がある。

 「三国志演義」

   作者:羅貫中(ラカンチュウ)(または施耐庵(シタイアン))?

   作年代:明代(1368~1644)

   特徴:三国志を題材とした民間の伝承や、

      談義を集大成して創作したもの。

      民間での伝承であり、あくまで通俗歴史小説である。

      比較的手に入りやすいことや、

      わかりやすいことがうけて民間でも広く受け入れられる。

      江戸時代に日本でも流行して、

      そのさいに「演義」の部分がとれて、

      たんに「三国志」として伝えられることが多くなった。

・・・こ難しくてすいません

結局、どういうことか?

私たちが知ってる、三国志は後世の人が作った

創作である部分が多いんです。

でも、みなさん、痛快な三国志の世界が好きですよね?

歴史書の「三国志」は基本的に魏が正統王朝ですから、

魏中心ですが、「演義」は魏の曹操を悪者にして、

蜀の劉備を主役として、書いています。

そして、その仲間の関羽・張飛・趙雲らが活躍し、

歴史的な天才軍師、諸葛亮が奇策めぐらす。

みなさん、きっと「三国志」では満足しないと思いますよ。

だから、正直、「三国志」を書くにはいやなんです。

だって、みなさんが思ってる三国志像が崩れちゃうと思います。

みなさん、「演義」の痛快さや、奇抜な発想や、戦略!!

心打つ人たちの絆が好きじゃないですか?

おれは、そっちが大好きです。

みなさんが思ってる「三国志」はほんとの歴史じゃないかもしれない。

でも、私はそれでいいと思ってます。

ほんとの歴史家に言わせれば、お前らあほか!!!

って思われるでしょうが、自分にとってはこれが史実って思えれば、

私はそれでいいと思います。

確かに、歴史書のほうが、事実に近いかもしれません。

でも、それが事実とは限らないと思います。

例えば、「三国志」では諸葛亮の記述は少ないです。

美談もかなり少ない。むしろ批判めいたこともある。なぜか?

はっきりしたことは言えませんが、「三国志」の著者の陳寿の父は

諸葛亮に処罰されています。また彼自身も、諸葛亮の子供の諸葛瞻に

うとまれていたのです。もちろん、その話自体も真実ではないかもしれない。

わかります?歴史なんて、しょせんは人が書いたものです。

その人の主観をまったく無視してなんて書けるわけがない。

ですから、歴史書だって真実とは限らない。

つまり、あなた自身が、考える歴史も十分歴史になるんだと思います。

歴史を研究して、それを極めるつもりなら話は別かもしれませんが、

私は、自分が信じる歴史を歴史と思ってもいいのかと思います。

気楽に見たほうが歴史って楽しいですよ。

こんな時代があったのか!!こんな魅力的な人がいたんだ!!!

素直に楽しめる、それが一番かな^^

・・・すいません。かなり脱線^^;

ということで、私自身は東洋史専攻ですが、

「三国志演義」の歴史を、これからも歴史として楽しんでいくつもりです。

反対意見おおいにけっこう^^

それも、あなたにとってのほんとの歴史ってものでしょうw

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2007年11月27日 (火)

フランス革命最終回

     \(☆^〇^☆)/ オバンデス

  もういいよ・・・って思いましたね?そこの歴史嫌い!!

  言われてもやります^^だって、最後までやんないとね^^;

  間はあきましたが、フランス革命の最終回ですw 

 

   フランス革命って、日本と違ってヨーロッパでは評価低いんです。

 絶対王政を覆して、市民が自らの力で主権を手に入れた偉大な出来事なのに・・・

  なぜか?革命が暴走しちゃったからなんです。

   前回紹介した

    Photo_2

  あ、違った・・・ロベスピエールね^^;

    彼の恐怖政治がその原因です。 

 

   国王幽閉ののち、共和政となったフランス議会は、

 国王ルイ16世と王妃のまりー・アントワネットの処刑を決定。

  1793年1月21日、パリ市民2万人が見守る中、

 パリ革命広場(現在のコンコルド広場)でギロチンにかけられたのでした・・・

 そして、王妃のマリー・アントワネットも同年10月16日、

 夫と同じく革命広場でギロチンの露と消えたのでした。

  ・・・夫と違っていたのは、

 夫のルイ16世が馬車で革命広場まで連行されたのに対して、

 彼女は肥料運搬車で市中を引き回された挙句の処刑でした・・・

  彼女は、王太子妃としてオーストリアからフランスに嫁ぎ、

 見方となる人がいなかった。また、夫婦仲もよくなかったようで、

 王妃といいながら、孤独を味わっていたのだろう。

  なぜならフランスとオーストリアは長年の犬猿の中だったのです。

 どちらもヨーロッパの覇権を競った国であり、

  絶対に相容れない間柄だった。

 それを解消するための道具として使われたのがアントワネットだったのです。

  しかし、彼女が贅沢三昧をしてフランス財政を圧迫したのも事実で、

 それが革命に火をつけたひとつのきっかけだったのも事実です。

  しかし、その最後はあまりにも悲しいものでした。 

  

  さて、国王と王妃の処刑で、これ以上の悲劇が繰り返されます。

 国王の死後、実権を握ったロベスピエールは反対者を悉く処刑します。

     パリ市民だけでも、1日に百人!!!

 フランス革命中にパリでギロチンで約1,400人もの処刑が行われました。 

 

 ・・・悲しいですね。こんなにたくさんの命を犠牲にしてまで・・・

  で、結局そんなのが長続きするわけないんです。

 民衆も自分達が手に入れたいものを手にしたら、もうそれでいいんです。

 土地をもってなかった小作人たちは、ロベスピエールの政策で、

 土地を手に入れると、急激に保守化します。

   もう、満足なんです・・・そうなると、どうなるかわかります?

  もう、危ないことはしたくない!!このまま、平和にくらしたい!!

     ってなります。

   いままで、革命の敵と戦い、そしてその邪魔をするやつらを、

 み~んなやっつけてくれるロベスピエールは正義だったかもしれませんが、

 もう、満足してしまった人たちにとって、ロベスピエールは、

  いつ、自分を断頭台にかけるかわからない敵になってしまうのでした。 

 

  こうして、彼は逮捕され、自らが革命の反対者を次々と殺害した、

 ギロチンによって、最後をとげたのでした・・・

  彼の死後、革命は転換期をむかえ、過激な運動は沈静化していきます。

 そして、革命をひきついだのが、ナポレオン・ボナパルトでした。

   彼は、そのカリスマ性で35歳の若さで皇帝へと登りつめたのでした。

 ナポレオンについては、また機会があれば書きます。

   なかなか面白いとおもいますけどね。 

   

  フランス革命はフランス絶対王政を倒し、主権を国民が自ら手にし、

 共和政を立ち上げたところは評価できるでしょう。

 ただ、ナポレオンの失脚後、フランスは再び王政へと逆戻りします。

  結局、革命の成果は何だったのか?うやむやになちがちです。

 民衆の熱狂が暴走を生み、一気に突っ走ってしまいすぎた感があります。

  テロの語源となるような恐怖政治でたくさんの人が死に、

 手にしたものに、それと同じだけの価値があったのでしょうか? 

 

   ・・・真面目になっちゃいました(-o-; 

  歴史をまとめるほど、私は悟ってませんし、

  そこまで歴史を知ってるわけではないので、あくまで私見です。

 やっぱり、命を軽く扱えちゃうこんな出来事は評価したくないですね。

      それだけの価値があった!!!なんて、

  その時代に生きてない人だから言える、都合のいい話でしかないと思います。

       暗いまとめでごめんなさい><

  もっと面白く終われる話のほうがよかったですね(;・。・A アセアセ・・・

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2007年11月20日 (火)

フランス革命その3

     \(☆^〇^☆)/ オバンデス

   さてさて、フランス革命について3回目です^^

  もうね、真面目な話は面白くないので、裏話で終わらせたいのですが、

   フランス革命と銘打った以上、一通りやりますw

     

    そこの歴史は嫌いとか言ってるあなた!!

    名前が覚えられないとか言ってるあなた!!!

      気楽にみてくださいなw

  受験勉強でもないので、そんなこともあたのね~ってね(*^▽^*) 

 

 

   バスティーユが陥落しても、実は民衆は王様に期待してたんです。

      「王様は自分達の味方だって!!」

   革命当初の指導者たちは「立憲君主制派」

     (王様がいて、議会があるほうがいいって人たち。

       現在の日本とかイギリスみたいなものです)が指導してます。

  まだ、穏健なんです。王様をたてて、議会でいろいろ決めようって感じです。   

   ちなみに、この頃の革命のシンボルの革命旗!!!

    実は、現在のフランスの国旗の三色旗なんですw

     これね^^

    800pxflag_of_france

  でもね、ルイ16世はその期待を裏切る行動をしてしまいます。

  革命の手が自分達に伸びるのを嫌った貴族たちは、国外に逃亡します。

  そして、ルイ16世と民衆のパイプ役をしていた、

 当初の革命の指導者のミラボーは死ぬと、パイプ役のなくなったルイ16世は、

  奥様のマリー・アントワネットの祖国、オーストリアへの逃亡をはかります!

   でもね、ここでも奥様・・・足引っ張るんです;;

  国外逃亡する貴族にまぎれて、

     王様ご一行とばれないように脱出しようとしたんです。

   ただね・・・また、駄々こねるんですよ(ーー;)

  「馬車のサイズは小さくてはいや!!もっと大きくして!!」とか、

  「内装も地味なのはいや!!特注よ!!!」って・・・

   結局、逃亡は予定より1ヶ月以上遅れ・・・

  しかも、貴族にまぎれて脱出しようとしても、

   そんな特注の馬車に乗ったら目立ちますがな・・・ 

              さらに!!

  「道中おなかが減ったらどうするの?食器は?ワインは?」

  てなことで、銀食器とワイン8樽、調理用暖炉2台もつんで・・・

 当然、馬車はスピードがでない><予定より4時間も遅れて、

          国境到着・・・

 事前に仕込んどいた憲兵は、交代の時間をとおに過ぎていて、

         すでに解散後・・・ 

      はい!!ばれました!!!

 ということで、軍隊に包囲されて、パリに連れ戻されちゃいました。

   ・・・アホですね(-o-;でもね、アホですまなかったんです。

  国王を信じていた民衆の多くは、この事件に失望!!

   立憲君主制派は支持を失い、共和制派が支持を集めます。

  簡単に言えば  「王様必要→王様いらない」 への移行で・・・

   いらなくなったら・・・どうなっちゃうんでしょうね(;゜(エ)゜) アセアセ 

 

   このころ、フランスの周りをみてみると、絶対王政の国ばかり、

  そういう国にとってフランス革命は脅威なんです。

    自分達の国にも飛び火したら・・・ 

 

   こうして、国王の逃亡が失敗した後に、

   オーストリアとプロイセン(今のドイツ)は、

  「フランス国王の身分を保証しないと、

      フランスに戦争を仕掛けるぞ!!」と脅してきます。

  革命政府は、国外に逃亡した貴族とオーストリア(王妃の母国)

  を脅威に感じて、オーストリアに宣戦布告します。

     しか~~し、連戦連敗><

  だって、戦ってるフランスの正規軍って貴族だもん(^。^;;

   革命に協力したくないので、やる気ないんです!

  で、各地で義勇軍(一般の民衆で、フランス守るぞ~!って、

       自ら兵隊さんになった方々)が立ち上がります^^

 そのとき、マルセイユからきた義勇軍が行進の時に歌っていたのが、

       「ラ・マルセイエーズ」!!

      現在のフランス国歌です!!

  国旗も国歌もフランス革命が起源なんですよ~^^

  んで、外国倒すぞ~~~って一致団結!と思いきや・・・

  義勇軍とパリ市民は戦争に負けるのは、国王が悪い!!

  ってことで、宮殿を襲撃!国王を幽閉します・・・

   ほら!国外逃亡なんかしようとするから・・・

   みんなの人気がなくなっちゃうんです;;

 というか、非常事態になると、人間と~っても恐い!!

   しかも、どんどん、エスカレートして、

  普段なら、みんながおかしいと思うことを平気でやるようになっちゃう・・・ 

 

戦争に負ける → 国内がまとまってないから → 革命に反対のヤツがいるから

     → なら、そいつらを殺してしまえ!!! 

 

 単純な図式が成立してしまう。非常事態は思考の停止状態でもあるのです。

  このあと、ジャコバン派と言われる極左派が独裁を築きます。

       その中心がロベスピエールです。

   ん?ピエール???この方????

   Photo

   この方は、ムッシュ・ピエール!!!

    知らない方はこちら

     話は戻って、ロベスピエールのお話^^;

  彼はこれから、「恐怖政治」といわれる政治を展開して、

    自らもその恐怖政治の犠牲となるのでした。

  「恐怖政治」はフランス語で「Terrueur(テルール)」と言います。

   それを語源としているのが「Terror」「Terrorism」です。

         なんだか、わかります? 

 

 

    正解は「テロ」「テロリズム」です。

  なんか、自分達の自由のために戦ってたはずが・・・

   気高い革命の理想から、テロが生まれちゃうんですね><

       恐いです><

 

  さてさて、今回はかなり真面目に書いちゃいました(;^。^A アセアセ・・

   ここは、なかなか面白おかしく書けないですね><

      次回で終わりですので、ぜひ読んでください。

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2007年11月15日 (木)

フランス革命その2

      \(☆^〇^☆)/ オバンデス

   さ~~って、やすさんにおもしろいって言われて、

 調子にのって、歴史物続編です(o^∇^o)まあ、お付き合いください。 

 

 

   フランス革命その1

  前回は、「球戯場の誓い」で税金に苦しむ市民が、

 熱狂しているとこまで書きました。(今のどこかの国も増税増税いってますね)

 さてさて、この近いで民衆が作った国民議会!どうなるのか? 

 

  民衆が勝手に議会作ったって、上の人たちが認めなきゃ機能しません。

 でも、よくわあkった方もおられるんです。

  特権階級の聖職者と貴族のなかでも、

  「フランスをどげんかせんといかん!!!」って思った人たちがいて、

  そういった人たちも国民議会に参加します。

 無用な争いを避けたかったルイ16世は国民議会を承認して、

 特権階級もこの議会に参加するよう説得して、

 国民議会は「憲法制定国民議会」と改称します・・・。

  でも、正直言えばルイ16世は乗り気じゃないんですよ。

 でも、改革は進めたい!!「あ~どうすりゃいいの?」

 って、この王様決断力なかったんですね。

  議会を承認しときながら、議会に反対の貴族・王族に強要されて、

 軍隊をパリに集結させちゃうんです(。>0<。) 

     まさに、一触即発!!!

  そして、民衆に人気のあったネッケル(財務総監、

        特権階級から税金とろう!って提案した人)

 が罷免されたのを気に、民衆の怒りが爆発!!!

 ついに、圧政の象徴とされていたバスティーユ牢獄を襲撃!

  ここを陥落させるのに成功したのでした(*゜▽゜ノノ゛☆パチパチ

 そして、この知らせを受けて、火種はフランス全土に飛び火!!!

   革命へと突入します! 

 

 

   さてさて、こぼれ話w

 ってか、こぼれ話が歴史っておもしろいんだよね(^▽^)

  圧政の象徴とされていたバスティーユ牢獄!!

 陥落させて開放されたのはどんな人たちなのか?

 圧政の象徴ですよ?国王に反抗した正義のヒーローとか!

 革命を指導するようなすごい人が出てくると思いません?

      普通・・・

   何人開放されたと思います?

 あっ、ちなみにバスティーユ牢獄ってこんなの 

  Prise_de_la_bastille

  でかいですよね?さぞかし、たくさんの人たちが捕まってたんでしょう^^ 

 

 

   では、襲撃して開放された人数の発表です!!!  

 

 

        ・・・7人。    

 

 

          へ? 

 

 

        少な!!!! 

 

 

   しかも、内訳・・・

    精神障害者2名   文書偽造犯4名  非行貴族1名 

  ・・・なんですか?   政治犯は?

     非行貴族って(;^。^A アセアセ・・ 

   タバコ吸って、バイクでも乗り回してたんですかね^^; 

 

   民衆の間では、圧政の象徴って思われてたみたいですが、

             現実は違ったんですね。 

   ここ、牢獄とか言いながら、ホテル並みの待遇なんです!

                     スイートか?  

   

   この牢獄のすごいところ

   その1.自分愛用の家具を持ち込むことが出来る

   その2.自分専用のコックを使用人として雇うことが出来る

   その3.食事が豪華で、昼食は3皿、夕食は5皿

        さらに、嫌いなものがあれば、違うものを注文できる

   その4.牢獄内での服装は自由。自分の好きな生地、

        好きなデザインの服を注文できた。

   その5.図書館・遊技場完備

   その6.病気になると、国王おかかえのお医者様に診てもらえる 

 

    すごくないですか?ビップ待遇じゃん\(。・o◎)/! 

   ここって、ほんとに牢獄( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(ェ) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄;;)  

    事実、出所期限がきても出所しなかったり、

 なんの罪もないのに、借金取りから逃げるために入所したりする人いたようです。 

 

  

    ・・・まあ、民衆にとっちゃ、

  バスティーユが実はこんなだったなんて事実はどうでもいい!!

  王様の軍隊をやぶって、圧政の象徴(?って信じてたところ)

         を陥落させたことが重要!!!

  ここから、革命は過激な方向へと向かってしまいます。

    行き着く先は・・・ギロチン・・・公開処刑です;; 

 

 

  と、本日はここまで!!って全然話は進んでないんですが、

      いいんです!!!!

  受験勉強でもあるまいし、面白おかしく楽しいのが一番w

     歴史ってそんなものでしょヾ(@~▽~@)ノ 

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2007年11月 9日 (金)

フランス革命

   \(☆^〇^☆)/ オバンデス

  さてさて、今回はひさびさに歴史物でも書いてみますか!!

   今回フランス革命でいってみます(^O^)

  にしても、東洋史専攻だった私がフランス革命とは・・・

  まあ、面白おかしく歴史を「へ~~」って見てもらえたらうれしいですw 

 

 

   フランス革命  1789年~1794年

    代表人物  ルイ16世 マリー・アントワネット ロベスピエール等

   フランス革命といったら、上記の年代を指すのでしょうけど、

   1794年にロベスピエールがギロチンにかけられた後も、

   フランス社会は大きく変貌をとげます。その中心人物は・・・

       ナポレオン・ボナパルトですw

   フランス革命といえば、「ベルサイユのバラ」の舞台になった時代ですね。

   まあ、歴史的な出来事ってその背景から説明しないと、なんでそうなったの?

   って、疑問がのこっちゃいます!ということで、フランス革命前を解説(^▽^) 

 

    フランス革命前のヨーロッパは絶対王政全盛期!!

  フランスでは「太陽王」とたたえられたルイ14世が最盛期を演出!!

  積極的な対外戦争で、領土の保全をはかり、

  有名なヴェルサイユ宮殿の建設を行いました。

  彼は、公益も考えた政策を行える有能な王様でしたが、

度重なる対外戦争と放漫財政のため、フランスの国家財政は疲弊していきました。 

 

  無駄遣いする人がいると、それの尻拭いをしなきゃいけない人が出てきます。

  その尻拭いをすることになったのが、ルイ16世です。

  結果、彼が王様の時代にフランスは革命へと突入します。

  ルイ16世の嫁さんは、かの有名なマリー・アントワネットです。

  ルイ16世は財政を立て直すための抜本的改革をめざし、

  テュルゴーやネッケルといった経済の専門家を財務総監に任命します。

  でも・・・奥様・・・だめだめなんです;;

  この方、毎日、晩餐会(仮面舞踏会^^;)催して、莫大なお金を浪費します。

  もちろん、国のお金ですよ~^^

  しかも、浮気までしちゃうんですよね・・・

   フランス革命の最中、パリで民衆が食べ物がないということで、

  「パンをよこせ~~~」って訴えたのに対して、

  「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない」

    と言ったのはあまりにも有名w

 (実は、これはアントワネット自身が言ったのではないという説もありますが、

  まあ、こういう人だから、こんなうわさも出てくるんでしょうね) 

 

   さてさて、お金がないフランス財政!

    (今のどっかの国もお金なくて借金まみれですね)

   どうしましょう?倹約すればいいんだよね!!!

   でも、マリー・アントワネットをはじめ、貴族の方々は、

   そんなのいやだ!って反対するんです!!!

   じゃあ、どうするか?そしたら、収入増やすしかないですよね。

   でもね、ルイ14世の頃から、民衆は増税増税で、

   パンも食えないくらいなんです。(もちろんお菓子なんてくえないよ)

  でも、民衆はいっぱい税金払ってるのに、全然払ってない人がいるんです。

     それは・・・貴族と聖職者!!!!!

   んじゃあってことで、この人たちから税金をとろうとするんですが・・・

   もちろん貴族と聖職者は大反対!!!当然!!!!!

   んで、どうしたかっていうと、三部会ってのを開きます^^ 

 

     なんなの?三部会??ですよね(^○^)

   当時のフランスは3つの身分がありました。

   1つは聖職者、もうひとつは貴族、そして最後のひとつが市民。

   その3者の代表者が集まって話し合いましょってのが三部会!!

   でもね、この時代に三部会って時代遅れなんですよ。

   三部会は結局1789年6月14日に開かれます。

   その前の三部会がいつ開かれたか分かります?

   1年前?いえいえ。2年前?いえいえ。10年前?いえいえ。

   じつに、175年ぶりの開催なんです!!!!!

   今の日本で、南町奉行所のお裁きをするくらい時代遅れです。

   遠山の金さんが出てきて、裁判されても・・・って感じですよね^^;

    で、結局これが、やぶヘビでした。 

 

   三部会では特権階級(聖職者+貴族=税金払わない集団)と

   一般市民(税金たんまり取られる人)が対立!!!

   議決方法をめぐって争いがはじまります。

    本来、三部会の議決方法は、1つの身分が1票をもって、

   多数決をとっていました。わかります?

   つまり、聖職者全体で1票、貴族全体で1票、市民全体で1票!

   ・・・できレースですよね^^;どうやっても、特権階級が勝つ!

   でも、市民だってバカじゃない!

   ということで、階級ごとではなく、1人1票にしようって主張します。

   (一説によると、聖職者308票+貴族290票=598票

     市民594票で若干市民のほうが少なかったようですが、

       特権階級にも市民に賛成する人たちがいたようです)

   結局、三部会は議決できずに、市民たちは三部会に見切りをつけて、

   自分たちで「国民議会」の設立を宣言します!!

   この宣言をヴェルサイユ宮殿の中のテニスコートで行ったことから、

    

         「球戯場(テニスコート)の誓い」

    

                         といいます。

  下の絵は、その様子を書いた有名な絵です。

   こんな感じだったのでしょう^^熱狂って感じですよね!!

   というか、戯曲の1シーンみたい(^▽^;) 

  Serment_du_jeu_de_paume_2

   ジャック=ルイ・ダヴィッド作 『球戯場の誓い』 

   

   ここから、革命が始まっていくのでした^^

   さて、今日はここでおしまいw

   あんまり長く書いても飽きちゃいますもんね(o^∇^o)

   続きも・・・書くかも・・・歴史物って好きじゃない人は、

  ま~~ったく興味なかったりしますもんね(;^。^A アセアセ・・ 

    まあ、気が向いたら書いてみますw  

 

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